平 和 祈 念 館

  特 攻 に つ い て ・・・

 昭和16年12月8日、ハワイ真珠湾攻撃を幕開けに始まった、第二次世界大戦、太平洋戦争も米軍の強大な軍事力に押され、日増しに負け戦が濃厚になってきた、昭和19年6月19日のマリアナ沖海戦では日本連合艦隊は空母3隻、艦載機243機などを失う致命的な大打撃を受け、完全に制空権を奪われてしまいました。その結果、輸送経路を完璧なまでに絶たれた日本軍は7月7日、サイパン島守備隊全滅。死者の数は軍人4万人、民間人約1万人、8月11日にはグァム島守備隊の玉砕と次々に危機的な状況に追い込まれていきました。

そして、遂にヤケクソ(?)とも思える、あの作戦に突入していったのです。

それは、必死必中の精神を兵器にした特攻作戦でした。 10月25日には零戦に大きな爆弾を装着して敵艦に体当たりする「神風特別攻撃隊」が編成されて、零戦9機がレイテ沖に出撃して行きました。戦果は空母1隻を撃沈2隻を大破させると言う成果でした。これを機に体当たり攻撃を「制式化」していったのです。 陸軍でも、67重爆撃機に800k爆弾を積む特別攻撃隊を編成しました。 20年1月までに、航空特攻は海軍が106回(約440機)、  陸軍が62回(約400機)も実施しました。 海軍では人間魚雷「回天」と言うのも製作されました。  

これは、1550㌔の爆弾を一人で操縦して敵艦に体当たりする潜水艦のようなものでした。

このような特攻で敵艦に体当たりをして命を投げ出したのは、殆どが10代の後半から20代の夢多き若者でした。 当時の軍事教育により洗脳されたとは言え、祖国のためにとか、家族のため、愛する人を守るためにと言う信念で突っ込んで行ったのです。