昭和15年~昭和16年

 ボクは、昭和15年6月29日、東京の神田で「集衛商会」と言う帽子の問屋を営んでいた父母のもとに、長男として誕生しました。

  長野市朝陽村出身の父と、佐世保市出身の母が結婚し、独立して商売を始めて4年目、待望の男児誕生だったそうです。

 

 当時の日本は大東亜戦争の最中にあり、軍国主義一色で報道の自由等も次第に制限され始めた厳しい時世の中、二人だけで始めた家業の帽子問屋も、軍需景気でやっと軌道に乗り始めて、小さいながらも数人の従業員を使うまでになっていたそうです。

 

仕事一途で、趣味と言ったら好きなお酒を飲む事ぐらいの無趣味で、小柄ながらも闘志の塊りみたいな、子煩悩な父。 気丈で、当時としては超近代的なさばけた性格の美人で優しい母。 この様な両親の優しい愛に育まれたなに不自由のない幸せな毎日、わがまま一杯の生活も、ほんの暫くしか続かなかったのです。

 

 あの忌まわしいラジオ放送の電波と共に、父と母が二人三脚で一生懸命に築き上げてきた小さな幸せさえも、砂上の楼閣が波に削り取られるように、音も無く崩れ始めたのです。

 


 昭和16年12月8日、運命のその日、生後まだ1年半ほどしか経っていないボクは、オッパイをお腹一杯飲んで、いつものように二階の居間に置いてある、ゆりかごの中でスヤスヤと寝息を立てていました。

 

その日は前日、九州から帰ったばかりの父は、母と一緒に朝早くから受注してきた商品を発送するための準備をしていたそうです。

 その時、日本の運命を決定付ける、衝撃的な出来事が突然のラジオ放送から流れてきたのです。

 

「 臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます 」と言うアナウンスが繰り返された後、軍艦マーチの勇壮な曲に続いて「 大本営陸海軍部午前6時発表、帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋において、アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり!」と言う衝撃的なものでした。

日本軍がアメリカの「 ハワイ真珠湾 」を奇襲攻撃し、大きな戦果を収めたと言うのです。

 

  この日をさかいに、日本は小石が坂道を転がり落ちるように、悪夢の時代に突入していったのです。

 そして、ボクの戦争も、この日から始まったのです。

満1才と6ヶ月、お正月を間近に控えた、吐く息も凍る様な寒い冬の朝の事でした。

            ハワイ真珠湾攻撃
            ハワイ真珠湾攻撃