昭和20年 佐世保に疎開

 

 その後も、相変わらず空襲の恐怖にさいなまれる毎日が続いていました。 洋治も空襲警報のサイレンが鳴るたびに、恐がって火がつくように泣いていて、その都度、母やボクが抱きしめて慰める、と言う日常が続いている、ある日のことです。 佐世保から、オジイチャンが突然訪ねてきました。

 そして、オバアチャンのいる佐世保の家に引っ越すことになったのです。

 

 それから間もなくして、ボクたちは家族揃って、東京駅から汽車に乗って佐世保に向かいました。

 

でも、ボクが楽しみにしていた汽車の旅とは程遠く、途中何度も乗り換えたり、空襲や、敵機の機銃掃射の度に降りて物陰に隠れたり、おまけに乗客は満員で、すし詰め状態のまま硬い座席からは、殆んど離れられず、そのまま2日以上もかかって、やっと無事に佐世保に到着したのです。

 ボクはもちろん、母も弟たちも流石にグッタリして、歩く元気もないみたいでした。

 

 でも、ホッとしたのも束の間、それからが、またまた大変でした。 オジイチャンのお家は大きな山の中腹にあったのです。

 駅からしばらく歩いたら、そこからは、調布に居た頃には考えられないような、長い長い坂道が待ち受けていたのです。 ボクは意を決して「 進め!小国民!」などを大きな声で歌いながら登って行ったのですが、そのうちに歩くのが辛くて涙は出てきました。

 

 何度も休憩しながら、頑張って登って行きましたが、小1時間ほどたったところで「 おい!着いたぞ!あの家だよ 」

とオジイチャンが指差した方を見ると、今度は細い石段を登っていった中腹にある、黒っぽい壁の大きな家だったのです。 ボクはウンザリしながらも、やっと着いたと最後の力を振り絞って石段を登りました。

 

 でも、登りきって玄関先から海の方の景色を見て驚きました。 遥か彼方の海には、病院船が停泊し、遠くの軍港には軍艦が停泊しているのまで見えたのです。

 ボクは一変に疲れが吹っ飛んで興奮してしまいました。

調布に居るときには飛行機は良く見ましたが、軍艦を見るのは初めてだったのです。

 

 お家に入ると、おばあちゃんがお芋を蒸かして待っていてくれました。 お腹がペコペコだったボクと洋治は、挨拶もそこそこに貪るように、お腹一杯食べたものです。

 

 それから、おもむろに海を見ようと二階の窓際に行ってみると、ガラス窓には全て障子紙が張ってあり、お外が見られないようになっていました。 ボクは不思議に思って、オジイチャンに聞いて見ました。 すると「 軍港や港には軍の秘密が一杯あるから、窓からゆっくり見てたら、スパイと間違われて、憲兵に連れていかれるんだよ!」と言うのです。


ボクは半信半疑ながらも、何となく了解したのですが、なんで、お外から見るのは良いんだろう? と、またまた不思議が残ってしまいました。  


 それから間もなく、ボクには近所のお友達も沢山出来て、軍事訓練を兼ねた、戦争ゴッコやコマ回しに明け暮れていました。 佐世保のコマは、東京の平たいコマとは違い、丸い形をして剣も大きい、ボウズゴマとも呼ばれるもので、遊び方も独特なものでした。 東京のようにただ回すだけではなく、回っている相手のコマに上からぶっつけて、相手のコマを叩き割ることが出来たら、戦利品として相手のコマの芯(剣)を貰うことが出来るのです。 僕がまともに回せるようになったのは、二個を失って、やっと三個目を勝って貰ったころでした。 でも、5才のボクの力では回すのがやっとで、相手のコマを叩き割るどころではなく、本当に悔しい思いをしたものです。 


 それにもう一人、お隣のカコチャンと言う、4才の女の子がいました。 カコチャンは、ボクの母や洋治とも仲良しで、よく家に遊びに来ては、洋治や征三とも遊んでいました。

 ボクも、よくオママゴトやお人形遊びに付き合せられていたものです。 母はカコチャンをとても可愛がり、端切れ布でお人形さんを作ってあげたりしていました。