S.20' 6月29日 佐 世 保 大 空 襲 (4)

 

 ボクたちは、瓦礫等を避け、足を引きずりながら随分長い時間をかけて、やっと佐世保駅前の広場に到着しました。  

でも、ここも大変な事になっていました。

 

 広場は、避難して来た人達が数え切れないほど沢山集まり、右往左往していました。 そして、口々に大きな声で名前を呼んだり、ほとんど裸の子供たちが「 お母さん! お母さん!」と泣き叫びながら母親を捜している声、子供を捜してる母親の悲痛な声などで埋め尽くされていたのです。

 中には、気が抜けて放心したように座り込んで、なにたらブツブツ呟いている人もいました。

 

そして、広場の隅の方には数え切れない程の死体が集められ、トタンやムシロを被せただけで、並べられていたのです。 その死体に取り縋って泣き叫んでいる人や、身内の確認のため次々と泣きながら覗き込んでいる人達を遠めに見ながら、ボクたちは急拵えの救護所に向かいました。 その間もオジイチャンの口からは「 なんまんだぶ~ なんまんだぶ~」と言う呟くような声が聞こえていました。


 救護所にはテントを張ってあり、戸板を敷いただけの簡素なものでしたが、中には沢山の人が看護婦さんらしき女の人たちに、傷の手当てをしてもらったり、包帯を巻いてもらったりしていました。 ボクたちも、煙りや煤、油等で真っ黒になっ顔や手足を洗い、怪我や火傷の手当てをしてもらいました。 そして、やっと戸板に座って休む事ができたのです。

 

 やがて、炊き出しが始まり、暖かいオムスビが一つずつ配られました。 塩味の付いた麦ご飯のオムスビとお茶、お腹がペコペコだったボクは、物凄く美味しく感じられて貪るように食べました。 洋治も泣きやんで、ガツガツと食べていました。 征三も、お腹が空いていたのか母のお乳を懸命に飲んでいました。 それを見たらボクは、何だかまた力が沸いてきたような気がしてきたのです。 

2010年「広報佐世保」 6月号特集
2010年「広報佐世保」 6月号特集

 しばらくして、一台のトラックが広場に入ってきました。

何だろうと見ていると、あの亡くなった人たちを無造作に荷台に放り込み始めたのです。 ボクは驚いて母に訊ねました。

母は、「 あのままじゃ、亡くなった人達が可哀想だからね、ちゃんとしたお寺に運んで供養するのよ。」と教えてくれました。 そして、母とオバアチャンは「 ナンマンダブ、ナンマンダブ 」とか言いながら手を合わせていました。 ボクも一緒に手を合わせて、少し安心はしましたが、何だかまだ心に引っかかる何かがあって、涙が出そうになりました。

 

「 人の生き死には、紙一重と言うからな。 亡くなった人達の分まで、ボクは生き抜かなければ駄目なんだぞ!」と言うオジイチャンの一言に、なんだか勇気が出て少しだけ救われたような気持ちになったのです。

 そして、オジイチャンは辺りを見回して、「 しかし、えらい綺麗サッパリと何もかも無くなってしまったなあ・・・」と言い「 和衛! 物凄い誕生日になったもんだな。 アメリカから沢山の焼夷弾のプレゼントも貰ったし、頑張ってお返ししなきゃな。」と言って笑いました。 ボクは、喜んでいいのか、悲しんでいいのか解らず、複雑な気持ちで、ただ頷いただけでした。

 

 洋治たちは、お腹が一杯になったのか、もうグッスリ眠っているようでした。 ボクは、昨夜からの衝撃的な出来事や恐怖、それに、ボクの頭では到底底理解出来ないような事柄で頭が混乱して、完全に思考力も限界に達していました。 それにも増して、身体が疲れきって いたのです。

 

 そして、ボクは母やオジイチャンの笑顔を見て、安心したのか急に眠くなり、そのまま眠ってしまいました。

 

      佐世保空襲資料室
      佐世保空襲資料室