昭和20年 佐 賀 に 疎 開 !

 どのくらいの時間眠っていたでしょう。 目を覚ますと、雨はすっかり止んでいましたが、相変わらず鉛色の雲に覆われた空と、焦げ臭いような嫌な臭いは周囲に漂っていました。

 丁度その時、オジイチャンが大きなリュックを背負って帰ってきました。 燃えた家の片付けに行ってたらしく「 使えるもんは殆んど、残っとらんやったばい。」とガッカリしたように、母たちにリュックの中を見せていました。 母もガックリと肩を落として溜め息をつき、とても悲しそうにしていました。

 そして、オジイチャンは「 とにかく、佐賀の方にでも一時、疎開でもするか?」と言い、夕方にでも隣の日宇駅から出るらしい臨時の列車で、佐賀の千歳村の親戚を頼って疎開する事になったのです。

 

 「 さあ、ボチボチ行こうか?」と言うオジイチャンの声でみんな、お隣の駅まで歩きだしました。 随分長いこと歩いたような気がします。 途中、瓦礫やガラス片を避けながら歩いた道も次第に歩きやすくなってきて、日宇駅に着く頃には、焼け落ちていない家並みも増え、いくらかは普段の風景が広がりはじめました。

 ようやく、駅が見えてきたころには、ボクの足は棒のようになって、早く座席に座って休みたいと言う気持ちで一杯でした。  

 ところが、駅に到着して、乗り込んだ列車は正に驚きの物でした。 それは、普段は牛馬か荷物を運んでいる貨車だったのです。 それも、車内には座席は一つも無く、床には藁が敷いてあり、板壁の隙間から外の景色が見えるというオンボロの貨車でした。 

 でも、車内にはもう沢山の人が誰一人文句も言わずに座り込んでいたのです。 ボクたちも急いで乗り込み、隙間を探して座り込みました。 ボクは母たちの心配をよそに、初めて貨車に乗れたと言う、新しい経験に胸を躍らせていました。 辺り一面の畑の中を、永い時間かけて走って、沢山の駅に停まった貨車の旅、途中停車という場面もありましたが、ボクは大満足だったのです。

 

 辺りがすっかり暗くなり始めたころ、列車はやっと佐賀駅に到着しました。 佐賀駅の周辺の街は、先程までいた佐世保とは、うって変わって空襲にも縁が無いような、静かな雰囲気の街だったのです。  ボクは、何だかホッとして安心しました。 それから、ボクたちは 木炭バスに乗って、千歳村の親戚の家へと向かったのです。 でも、親戚の家に向かう田舎道の悪さには往生しました。 物凄くバスは揺れて、座席に座っていられないのです。 オジイチャンは「 佐賀の道路は愛嬌があって、笑窪が多いんだよ。」と笑っていました。

 

 ボクがお尻を擦りながらバスを降りたころには、もう辺りは真っ暗になっていました。 ボクたちは月明かりで青白く光っている、川沿いの細い道を虫の声や、ホタルの光りを追いかけながら、暫く歩きました。 とても楽しいひと時でしたが、ふと、昨夜の事を想いだしてしまいました。

 焼夷弾に追われて逃げ回った夜道と、今夜の静かで楽しい夜道、これが本当の、地獄と極楽と言うんじゃないかと一人で納得したものです。

 

 親戚の家に到着し、ボクたちは先ず、お風呂に入り油や煤等で真っ黒になった顔や身体を洗い、焼け焦げてボロボロになった衣服を綺麗な借り着に着替え、傷の手当をしました。 

 お風呂にも久しぶりに入ったように、サッパリとした気分で、何だか生き返ったような気になりました。

 そして、ここで暫くお世話になる事になったのです。

ここの家には、大きなお姉ちゃんが二人と中学生位のお兄ちゃんがいました。 このお兄ちゃんとは、ボクは大の仲良しになって、裏の川でハンギィと言う、菱の実を採る時に乗る、大きなタライのような物に乗せてもらったり、家で飼っている子馬に乗せてもらったりと、何もかもが新しい経験で、ボクは毎日が楽しくて、もうすっかり空襲の事など忘れてしまったかのようでした。

 

 でも、どうしても、あの空襲の怖ろしさが頭から離れなかったのでしょう。 ボクも洋治も夜半に、うなされたり急に起き上がって泣き出したりしていたそうです。

 それから数日後、オジイチャンが隣村の直鳥村と言う所に借家を見つけて、そこに当分の間住む事になったのです。