S.20' 4月7日  戦艦大和 撃沈 !

 

 この日、期せずしてもう一つ、大きなニュースが飛び込んできました。 

 あの、世界に誇る不沈戦艦「 大和 」が撃沈されたというのです。 ボクはビックリして、わが耳を疑いました。

 

戦艦大和 」は世界一強くて、敵をやっつける大砲も世界一大きくて、絶対に沈没しないと信じていたからです。

事実、これまでの戦いでは日本連合艦隊の活躍は目覚しく、対艦の戦いでは連戦連勝と言えるものでした。

 

「 戦艦大和 」は、ボクが生まれた年 の8月8日に広島の呉で進水式をし、その大きさは、全長263m、全幅が39mもありました。 そして兵装は、主砲というべき45口径、砲口の直径46cmもの大きな大砲を3本連装したものが3基、直径15.5cmのものを3本連装したものが4基、その他、高角砲や機銃をたくさん搭載していました。

それに、水上戦闘機も7機も搭載し、甲板などの装甲も特別に作られた空前絶後の不沈戦艦とも言える物だったのです。

 

昭和20年4月1日、アメリカ軍は沖縄に上陸、支援戦力は、艦船1500隻以上、航空機1700機あまり。 これを受けて、日本海軍は「 天一号作戦 」を発令、徳山沖に待機中の「 大和 」に出撃命令をくだしたのです。 

 

 目的地は沖縄、作戦は片道分の燃料を積んでの特攻、自ら浅瀬に乗り上げて動かぬ砲台となり、敵の陸上部隊を砲撃するというものでした。 

 

 4月6日、午後4時「 戦艦大和 」は出撃していったのです。 沖縄を目指す「 大和 」は豊後水道に達しようとしている午後6時、乗組員は全員甲板に集められ、この作戦は生還を期さない特攻作戦であることを、初めて知らされたそうです。

 

 あくる4月7日早朝、「 大和 」を察知したアメリカ軍は、空母部隊に迎撃命令、その兵力は、新鋭空母12隻、艦載機およそ800機。 しかし、「 大和 」には護衛機も付かなかったのです。

 

 4月7日12時34分、「 大和 」は鹿児島の坊ノ岬沖90海里の地点でアメリカ海軍の艦上戦闘機を50km遠方に認め、射撃を開始しました。  しかし間もなく、敵機100機以上が雲の合間から出現、急降下爆撃を開始したのです。

 

 12時45分には、 アメリカ軍の魚雷が一本、左舷に命中、射撃を目測に頼る対空砲火は厚い雲に阻まれて、大和は主砲を使うことが出来なかったのです。

 

13時33分に、同じく左舷に魚雷が3本、45分に、さらに2本が、また左舷に命中。 その後もまた、左舷に3本の魚雷を受けて「 大和 」は左側に大きく傾き、バランスを取る事が出来なくなりました。

 

 14時17分、またもや左舷中央部に魚雷が命中、「 大和 」は傾斜が大きくなり、長官は特攻作戦中止命令を下し、長官室に入り、中から鍵をかけたのです。

 

 その後も、アメリカ軍の戦闘機、爆撃機、雷撃機等の攻撃が続きました。 「 大和  」は合計29本もの魚雷を左舷を中心に受け、甲板など全身には数え切れない程の爆弾を浴びて、昭和20年4月7日14時22分、「 戦艦大和 」は横転、大爆発を起こしたのです。 

 沈没によって命を落とした乗組員は3000人以上にのぼったそうです。

 

 戦艦同士の戦いでは有利だった「 大艦巨砲主義 」は、この戦いで終焉を迎え、以後は空母を主体とした、航空戦へと移行していったのです。