S.20' 4月7日 B29 調布に墜落!

 

 連日のように、繰り返される空襲の中で、やっと寒い冬も過ぎ、桜の花も満開の のどかな春の朝、ボクは衝撃的な出来事に出くわしたのです。

 

 それは、4月7日、遅めの朝御飯で芋粥を食べている最中に起こりました。 調布飛行場から静けさを打ち破って、戦闘機のエンジンの猛々しい音が鳴り響き、3式戦闘機「 飛燕 」が次々と飛び立って行きました。

 「 あっ! また空襲よ!」と言う母の声にボクたちは慌てて防空壕に逃げ込む用意を始めました。 

 

 戦闘機が慌ただしく飛び立つ時は、間違いなく B29の空襲があったからです。 すると案の定、空襲警報が発令され、いつも付けっ放しのラジオは東部軍管区情報で、「 敵B29数10機、駿河湾より関東西南部に進入、東北進中なり。」「 敵小型30機、関東東部より進入、西北進中なり。」と告げたのです。 

 やがて西の空から、鈍重な独特の爆音を響かせながらB29が、いつものように 7,8機ずつ編隊を組み現れたのです。

 ボクたちは、慌てて防空壕に飛び込みました。

ボクは、いつものように防空壕の扉の隙間から必死に空を見上げていました。 日本の戦闘機が大きなB29を追いかけながら、果敢に攻撃を仕掛け、高射砲陣地からも盛んに射撃をしていましたが、B29には弾が届いていないのか、はるか低い所で破裂しているみたいでした。

 

 そして、7,8機のB29の梯団が次々に東京方面へ飛び去った時、新たに西のほうから飛んできた編隊の2番機に、日本の小さな戦闘機がキラリと光って体当たりをしたのです。

一瞬、白煙が出て、B29はガクンと速度を落として編隊を離れ、ゆっくりと回転しながら落下しはじめました。

「 やったっ! やったっ!」表で見ていたらしい、人たちの歓声や手を叩く音が聞こえました。

 

 しかし、その後 B29は落下する途中でバラバラに空中分解し、ボクたちの住む調布の方に落ちてきたのです。

「 ぅわーっ! 逃げろ!」と言う声と共に、皆われ先に自分の家の防空壕に飛び込みました。

 

高射砲の炸裂する音や飛行機同士が撃ち合う機関砲の音に混じって、ドスンと言うような大きい鈍重な音に続いて、地震のような揺れをいくつか感じました。

 

 しばらくして、こわごわ外に出ると、B29は東の方の調布町の国領地域周辺に、翼や胴体、尾部などが分散して落下した、と情報が流れました。 やがて、B29も P51戦闘機も姿が消えて空襲警報解除のサイレンがなりました。

 「 国領に落っこったって! 見に行こう!」と、お隣のお兄ちゃんが自転車に飛び乗ろうとしているのを追いかけ、母の制止も聞かずに「 ボクも行くぅ!」と、自転車の後に乗せてもらい、川沿いの桜並木の道を急いで現場に駆けつけたのです。

 墜落した現場に着いてみて、ボクはビックリしました。   

  一軒の農家の直ぐ側の畑の中に、 B29の尾翼が落ちていたのです。

そこら中に、まだ土煙りが上がり、物凄い有様でした。 でも、驚いたのは、その B29の尾翼の大きさです。 そそり立っている尾翼は二階の屋根まで位の高さはあるようでした。

 

 そして、少し離れた人垣の足の間から潜り込んで見たのは、仰向けに寝かされたアメリカ兵の姿でした。 ボクは、お兄ちゃんに「 怪我してるの?」と聞いたら、「 もう、死んでるんだよ」と言う返事でした。 そして、大人の人達は、「 コンチクショウ! お前たちのおかげで・・・」とか、「 コノヤロウ!」とか言って、蹴飛ばしたり、唾を吐きかけたりしていました。 中には「 お前たちには勿体無い!」等と言いながら、その兵隊さんの指輪などを抜き取ったり、ポケットに手を突っ込んで何かを取り上げたりしている人もいたのです。

 

ボクは幼なごころにも、そんな事までしなくても、と兵隊さんが可愛そうで悲しくなりました。

 その兵隊さんのカーキ色の軍服には、胸の辺りから足の方にかけて血で真っ赤に染まっていました。

 

 ボクがこわごわ、そっと覗いた茶色の飛行帽の中の顔は、茶色の髪の毛と薄く目を開いている、青い目をした綺麗な顔でした。

 ボクは、またまた驚きました。 アメリカ兵は「 鬼畜米英 」と聞かされていましたから、アメリカやイギリスの兵隊さんは、みんな鬼のような恐い顔をして、物凄く恐ろしい、獣のような人ばかりだと思っていたからです。

 

 ボクは、家に帰ってから出来るだけ詳しく、一生懸命母に話しました。

母は、先ず言う事を聞かなかった僕を𠮟った後、「 犬や猫でも、毛の色や顔が違っていても、犬は犬、猫は猫でしょう? 人間も一緒なのよ。 肌の色や髪の色や、言葉が違う外国人も、ボクたちと同じ人間なのにね。 どうして仲良くできないんだろうね~?」と言い、「 あの人たちにも、子供や家族が居るんだろうに、可哀想にね。」と言って、あの兵隊さんの方に向かって手を合わせました。

 ボクは、母の言ってる意味が良く解らないまま、一緒に手を合わせました。

 

 後から聞いた話では、あの B29には10人ほどの戦闘員が乗っていたそうです、そのうちの3人は、一応、あちこちに落下傘でおりて怪我をしていたものの生きていたそうですが、一人は捕虜として憲兵隊に引き渡され、二人は民間人に鍬などで暴行されて死んだそうです。

 体当たりをした「 飛燕 」の兵隊さんは、当たる直前に落下傘で脱出し、世田谷あたりで救出されたそうです。